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恐怖心をどう克服したらよいか

 薬の副作用が分っていても薬を使い続ける人たちが多いのは、病気に対する恐怖心から、病気を薬で退治するしかないと勘違いしているからだ。病気は健康回復のための、世界一優れた名医でありベストな治療を行ってくれるのだが、それが理解できない人にとっては、病気に対する恐怖心が心身共に大きな悪影響を与えてしまう。 病気はありがたいのだが、それを知らぬがゆえの恐怖心は、リスクをつくり出すため、大変怖いといえる。これはひとつの逸話だが、学生たちに憎まれていた寮長を、学生たちが講堂へ呼び出し、いじめられた学生たちが一人ひとり罪状を言い渡し、この罪は死刑に値することを寮長に告げ、寮長を目隠しして首を机から突き出させた。寮長に、これから断首することを告げ、濡れ手ぬぐいで気合と共に首をひと叩きしたところ、寮長は気を失ったようにガクッと首をたれた。学生たちはどっと笑い転げた。しかし、その後、寮長を揺り動かしても意識は戻らなかった。余りの恐怖のために息絶え死んでしまったのである。恐怖心を持つこと自体が如何に怖いかを如実に物語っている。 病気は病魔とか病鬼とか言われる。また、死を連想させるので、豪腕な男でも病気になると別人のごとく気弱になるものだ。病気になった時、どのように思い、どのように恐怖心を克服したらよいのだろうか。病気をしたら、先ずどう思うべきかを考えてみたいと思う。 病気に対する恐怖心を無くすには、病気が本来、どのようなものなのかをしっかりと認識することが先決である。病気の持つ身心の健康回復効果や病気がどれほど多くの有益性を持っているかを知って、自分の脳に認知させることが重要である。病気は怖くないと脳が前もって認知していれば、決してビックリすることはない。突然驚かされるから、一寸したことでも心臓がパクパクするほどビックリするのだ。

病気は、怖いどころか感謝に耐えないほどありがたい健康回復作用

 病気が、本来は怖くないどころか自然治癒力の高まりであり、不健康状態を解消し、リスクを除去するために働いてくれているのだと思えば、恐怖心もだいぶ減少するのではないだろうか。 しかも、病気有効論を理解するということは、ただ単に病気への恐怖心が消えるだけではない。私をはじめ私の家族や周りの皆様が、確実に健康を回復して病気をしなくなった。薬を飲む必要が一切なくなった。体調を崩したとしても、ごく軽いカゼぐらいで楽に治ってしまうし、病気で悩んだり苦しむことがなくなり、いつも健康でいられるようになった。 病気は、健康や若返りや長寿への大変ありがたい有効作用が働きだしてくれたものであって、この健康アップや幸せアップ効果はどれほど大きいか分からない。しかも、一切無料で施術してくれるのだからと、病気の有効性を認知して、心底からの感謝や喜びを脳へ言い聞かせたらよいのだ。想いの持ち方が、QOL(生活や人生の質)をしっかりと高めてくる。 病気をすることができる、ということは本当にありがたいことなのだ。そのまま素直に、何度も、病気に対して「ありがとうございます」を繰り返し、病気に感謝せずにはいられなくなる。 病気には苦痛が付きものだが、病気の有効性や痛みの優れた治療効果や治療メカニズムの素晴らしい有効性について、バックナンバー(機関誌やHPに掲載)などでもしっかり認識していただければ、恐怖心はなくなる。 病気に感謝して、病気の邪魔をしないで、病気を手助けすれば、それだけ苦しまずに、手助けしただけ早く病気という自浄作用や自己治療作用が終わり、それだけ病気が早く解消して、人体は通常の元気な体調を取り戻してくれるということになる。 人体は、病気と言う自己浄療作用により、心身ともに、健康で、美しく、若返って、素肌の美容、元気な長寿、豊かで、調和の取れた、至福に満ち充ちた状態や人生をもたらせてくれるのだ。病気を嫌うどころではない。“病気様様”ではないか。疫病神様を家の中にお祭りして、感謝のお祈りを挙げたいほどだ、と言ったら行き過ぎでだろうか。でも、病気をすることができる、ということはそのくらいありがたい御利益があることなのだ。 想いが感謝や良い方へ変ると、身体や体調も良いほうへ変る。つまり、体調や健康状態が改善される。「身体や現象は想いの映り鏡」なので、想いが変ったように、身体も変るわけだ。

人体に備わった“魔法の小槌”

 自己の一個の細胞から、人体をつくった私たち(○○頁参照)は、諸種の分野において無限な能力とも思える能力を本来持っていると自己を認知して、しっかり自覚したいものである。そうすることにより、潜在意識や潜在能力に秘められた力がフルに発揮されるのではないだろうか。その無限と思われる能力のひとつには、やはり奇跡としか思えない可能性を秘めた、人体に備わる豊かな健康回復能力がある。それは、まさに奇跡としかいいようのない多才且つ精密高度な治療や自浄技術を身体全体で同時に、しかも、ものの見事に自己浄療能力(自然治癒力)を駆使して健康を回復してくれる。そのような奇跡的能力を人体に備えている。 「自らの人体に備わる健康回復能力(自己浄療能力)」を知れば知るほど、感謝して使用すればするほど磨きがかかりパワーUPして行く、それは魔法の小槌のようなものだと言えるのではないだろうか。  魔法の小槌である万能とも思える病気、つまり、自然治癒力であり自己浄療能力は、どうしようもないほどの不健康体質を、自浄作用や体内から湧出する良薬や体内ドクターを駆使して自己治癒力治療を行い、真の健康体質に変換してくれる。驚かされるのは、その最も優れた「真の健康回復能力(自己治療作用・自然治癒力)」が、健康の敵として最も恐れていた『病気』だったのだ。

取り返しのつかない障害を発生させないために…

 病気は最高の治療作用なのだから、折角、健康を取り戻そうとして働き出してくれた、最良の健康回復作用であり最も優れた治療能力である病気を、やたら安易に攻撃して、身体に異常や障害をきたしてからでは取り返しがつかない。障害を起こす前に、真の健康を取り戻さなくてはならない。つまり、真の健康を取り戻そうとするなら、病気をしたら、「不健康な状態になっているので、真の健康を取り戻してくれるために病気が働き出してくれた」と確信することである。したがって、当然なことだが病気が始まっても薬を使用して病気を攻撃しないで、病気になっても「人体が出来るだけ楽に病気という自己浄化作用が順調に働いて真の健康を取り戻してくれるように、病気の働きに積極的に協力(その方法については順次説明させていただきます)するようにして、できるだけ軽く、しかも、出来るだけ効果的に真の健康を取り戻してくれるようにすることがたいせつである。 つまり、「病気は病気のうちに治せ」ということになるのだ。 しかし、一般的には、病気(最良の健康回復作用)がはじまると、薬を使って攻撃する。病気(最良の健康回復作用)がはじまると、病気の働きの邪魔をするのである。ほとんどの人たちが、病気(最良の健康回復作用)に不安を感じ、または、少しお腹が痛くても「これは大変だ、私はひょっとして死んじゃうじゃないか」と、いっとき恐怖心に襲われ心配しながら薬をやたら飲んだりする。 お腹が痛ければ、消化薬を飲むでしょう。頭が痛ければ頭痛薬を飲みます。熱があれば解熱剤。カゼかなと思えば風邪薬というように、何かにつけて薬を使用する。原因も分らずにやたら薬を使用するのだから、安易に薬を使用して副作用等リスクをどうするのということになるのだが、本人は大真面目で薬を使用することが最も正しいと確信しているし、そうしないと治らないと思い込んでいるので、薬の怖さを周りの人が心配して忠告しても聞き入れようとはしない。 薬の使用により、何十年もの長期に亘って多くの人たちが薬による障害を受け、多くの人たちが生命を失っているにもかかわらず、そうした事実に関わったことがないため、当の本人は薬の怖さを知らないので、忠告して上げても相手にもされないことがよくあった。 診察を受けても出ず本人もその時は気付かないでいても、数年、数十年たってから支障や大変な障害となって一挙に症状が出てくるという事実を沢山見てきた。 病気が健康回復のために最善の根本的治療を行ってくれるということが分っている方なら、薬や治療の怖さは充分理解しているので、安易に薬を飲まずに済むだろう。薬の副作用の怖さを知っていても、しかし、病気の有効性が分からない人にとっては、いざ激しい痛みや症状が出た場合、薬を飲まずにいられなくなるものなのだ。

無知のベールの背後にあるもの

 身近な車の運転や登山も、何の練習や訓練、知識もなくいきなり動かし登り始めたら、本人だけではなく周りの人を巻き込んで、生命を落とす危険性がある。そのような生き方は無謀としか言いようがない。 無知のベールの背後にあるもの、それは時に私たちの人生を根底からもてあそび、その結果容赦無くあなたを死へと突き落とすことにもなりかねない。 例えばあなたは、病気や健康、現代医学と病気対策、真の健康回復方法等についてどれだけの正しい知識を持っているか。どれだけ自信を持っているか。このように問いかけられたとして、あなたはどう答えるだろうか。諸種の医学的治療の選択や健康法のいずれを受けるかは、当然のことながら100パーセント自己選択だ。あなたが決定することに対し決してとやかく言えないが、もし「病気有効論」をしっかりご理解いただき、選択肢の一つに加えてくださるなら、あなたの人生は大きく転換していくことだろう。 病気有効論の視点から、病気になっていつまでも心配しながら苦しんでいてもらいたくない、より多くの皆様に少しでも早く、少しでも楽に簡単に健康を回復して、若々しく元気にさらに幸せになっていただきたいと願っていたら、ふと「病気は、病気のうちに治せ」というフレーズが当然のように浮かんできたのである。

 

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